「吾妻鏡」雑感
大和奈良坂非人と京都清水坂非人
節酒・禁酒
金石文などにおける「緑友」について
飛行三鈷高野山に還る
菅政友文庫の中の古文書
金剛福寺−文書と寺領−
第十一巻の校正を了えて
施無畏寺にて
庄家の一揆の前史−闘争主体の形成−
胎内文書(1)〜(4)
源頼朝の八万四千基造塔と進美寺
高野山文書のことなど
蒙古襲来と関東御公事
日向国図田帳の性格
「永青文庫」所蔵の鎌倉時代の古文書
縁者境界
書陵部所蔵「八幡宮関係文書」に見える豊後国石垣別符(弁分)と高↓
北条氏と後北条氏
兼仲卿記裏文書(1)〜(7)
中世律僧に関する一視点−叡尊を中心に−
但馬の守護と文永・弘安の役
三河国小野田庄のこと
中世の「畠」と「畑」−焼畑の位置を考えるために−
西を限る西岸
島津荘薩摩方伊作荘、日置北郷における下地中分について
中世の「校正」符号
日記に貼り継がれた文書
足利義氏と鑁阿寺
「御霊文書」考
奈良時代以前の解
「鎌倉遺文」と律令
紀伊国荒河荘悪党一件文書
中世の子供の養育と主人権
「隠商人」の出現
津長と津沙汰人・津刀禰
ゆがんだ鏡
洛中番匠のこと
鮎鮨と悪党
肥前国椅寺の鐘と千葉氏
十三世紀総括
壬生家文書の特異な一面
中世村落における縁と族縁
十四世紀展望
名を憚ること
「下向」か「近夫」か
大和西大寺蔵騎獅子文殊菩薩像胎内経及び胎内文書
「墓」・「墓所」のイメージ
青方文書の世界(1)
「文治」記録所の一史料
「嫡子」と「長男」と「家督」(1,2)
旗を揚げること
筑後田代文書として伝来した和泉上村文書について
関東御免津軽船二十艘(上,下)
中世の魚の助数詞「こん」の消長
越前坪江郷佐幾浦・加持浦・阿久多宇浦について
古文書と木簡
第三十三巻所収「東大寺具書」について
越中堀江荘南方内検帳配列修正の試み
「元亨年間」論 1,2
絵画史料論から
宗像大社所蔵八巻文書の伝来−文書伝来論の一資料として−
鎌倉遺文 古文書編 41 元弘2,3年
「六十巻遺文」編纂始末(3)
鎌倉遺文 索引編 1〜4 文治元年〜元弘4年
鎌倉遺文 古文書編補遺 1 文治元年〜建暦3年(1185〜1213)
南北朝遺文 中国四国編 1〜5 建武元年〜弘和2・永徳2年
「南北朝」を問う
安芸国内藤氏と虎関師錬
「中国」という地域名
周防大内氏の石見国迩摩郡分郡知行
足利直冬と中国地方
南北朝期における安芸内藤氏の動向
尊氏と中国・九州
「阿波山岳武士」と南朝文書
恵鎮と周防国
備前国一宮社法について
「南北朝遺文 九州編」の発刊に寄せて
薩摩の在国司
南北朝遺文 九州編 1 建武元〜延元3年,建武5,暦応元年
菊池氏と阿蘇氏−国司と国上使−
雑訴決断所廻文について
南北朝遺文 九州編 2 延元4,暦応2年〜正平2,貞和3年
安楽寺領注進目録(南北朝遺文九州編3340号文書)について
寺院と山城−豊後国玖珠城の場合−
少弐頼尚の足利直冬与同期について
南北朝遺文 九州編 3 正平3,貞和4年〜正平9,文和3年
大友貞載下知状(南北朝遺文九州編274号文書)について-「使節」考-
凡下の戦力
南北朝遺文 九州編 4 正平10,文和4年〜建徳元,慶安3年
日向・薩摩と今川氏兼・貞継−探題今川氏九州支配末期の一こま−
深堀家文書の原状について
無年号文書の年号比定
南北朝遺文 九州編 5 建徳2,慶安4年〜元中元,至徳元年
南北朝遺文 九州編 6 元中・至徳二年−元中十二年
令旨の書き止め文言−懐良と護良
尊氏は九州を知らなかったか
南北朝遺文−九州編−の刊行に当って
九州南北朝研究史序説−大正期まで−
無年号文書月日順文書目録
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