純粋経験
西田幾多郎とジェイムズ 純粋経験をめぐって
西田哲学と経験科学
西田哲学における身体の問題
私と汝の世界
宗教的世界観の論理
西田哲学と田辺哲学
西田哲学と比較哲学
西田哲学の理解 その諸相
野矢氏に答えて
村田氏に答えて
伊藤氏に答えて
野家氏に答えて
大庭氏に答えて
丹治氏に答えて
飯田氏に答えて
土屋氏に答えて
大森哲学の航跡
「重ね描き」の行方
知覚、真理、実在性
心の言葉
「対話的相互性」の地平
立ち現われ・他者・行為
空間と時間
演繹と換言
唯名論的言語論の可能性
真善美日本人
偽悪醜日本人
国民性十論
西田幾多郎初期の思索をめぐって 資料篇の解説に代えて
西田哲学の「哲学史的」意義
日本における研究史の概観と現状
欧米における研究史の概観と現状
西田哲学の時期区分説 多様なる西田哲学像
西田哲学の根本諸概念 ドイツ語への受容
「智山学報」より
「改造」より
「信濃教育」より
学祖の建学精神たる真如観と妖怪学 井上円了の哲学理想
井上円了の「大乗哲学」—富永仲基「出定後後」再考—
井上円了のインド哲学研究—「外道哲学」を中心に—
初期著作にみられる井上円了の東・西哲学の対比
明治時代における井上学祖のキリスト教批判の考察
井上円了における初期倫理思想-「倫理摘要」をめぐって-
倫理学を中心にして—倫理通論と日本倫理学案からみた円了の倫理学—
井上円了の宗教学
井上円了の心理学の業績
井上円了の教育観
学祖の学問と民俗学
井上円了の霊魂不滅論—シナ学との対比において—
「妖怪百談」に見られる不思議庵主井上円了の啓蒙活動について
井上円了の国語国字観—「漢字不可廃論」をめぐって—
随筆に現れたる井上円了の思想
修験道を中心とした学祖の学理思想
「哲学図書」怪談草紙部解題稿
学祖の建学精神たる真如観と妖怪学 井上円了の哲学理想
西田哲学と田辺哲学−ひとつの回想−
田辺弁証法と自然科学
田辺元における数学の形而上学
田辺元と認識論−直観と思惟との関係をめぐって−
「種の論理」再考
田辺哲学とハイデッガーの思索
田辺哲学とキリスト教
田辺哲学と日本思想−『教行信証』解釈の問題をめぐって−
田辺哲学と西田哲学
田辺先生のこと
追憶−記録的なこと二、三−
ほんとうの恩師
教えをうけた日々
京都から北軽井沢へ
田辺先生の思い出
忘れえぬことども
弁証法を生きる
田辺元先生のことども
哲学者の笑い
「哲学入門」受講のことなど
「哲学入門」刊行のころ
田辺元先生の書簡
日本思想における国家と宗教
宣命における「天」と「諸聖」
日本古代の神事と仏事−大嘗祭と御斎会を中心に
中世顕密仏教の国家観
中世における神宮宗廟観の成立と展開
日蓮と国土
中世神道における国家と宗教−慈遍の日本神国観をめぐって
「増鏡」の皇位継承観−三種の神器をめぐって
護国と清浄−天竜寺創建と夢窓疎石
徳川期の職分論の特質
近世初期の儒教と「礼」-林家塾における釈菜礼の成立を中心として
近世初期における「国家」と「仏」-「太平記読み」研究序説
禁じられた信仰−近世前半期の摩多羅神
通俗道徳と「神国」「日本」−石門心学と富士講をめぐって
田能村竹田−近世後期文人社会における脱国家
国学における「皇国」意識の展開と日常生活論
安積艮斎の思想−幕末官学派における俗と超俗
攘夷に向かう心−大橋訥庵の「転向」
近世大嘗祭観の展開
福沢諭吉の宗教論説−その政教分離論を中心に
西村茂樹における国家と道徳・宗教
朝鮮総督府の宗教政策
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